死生観
死に力があるこの世が苦手だ。
いじめ自殺、虐待死、有名人の死...
たくさんの死が溢れ、多くの人々は悲しむ
涙する者、苦しむ者、傍観し適当な言葉を使う者。哀れみや同情という名の「優しさ」を浮かべる。
叩かれ、蹴られ、アイロンを押し付けられ火傷を負い、ご飯を与えられず、生まれてこなければよかったのにと言われ続け育ち性的虐待まで受けPTSDに苦しみ鬱や摂食障害、統合失調症になった女の子がいる。何故彼女は「優しさ」を未だ受け取れずにいるのか。
それは彼女がまだ生きているからだ。
いつでもいい、いつだってよかった。死んでしまって事実が露わになれば皆彼女に同情し讃える。そのぐらいの過去を背負っている。そして、生きている。なのに何故。
私は「死」を愛し讃えるのではなく「生」を抱きしめたい。この世界にいる人々は皆「生」を選び取っている。探り探りでも、考える事を放棄していてもだ。この尊さが「死」をも越える力を持つ浮世になって欲しいと強く願っている。
ここでの女の子とは私自身ではありません